DIRECTOR’S
MESSAGE
ディレクターズメッセージ

01 ABOUT THE MOVIE 映画に関して

What’s the “DIRECT CINEMA” 観るものに主体性を置いた「ダイレクトシネマ」

かつて1960年代のアメリカで、50年代末に開発された16ミリ・カメラや同時録音の技術を用い、同時にカメラの前の出来事・事実をそのままに伝えようとした手法があった。できるだけ自然に、静かにカメラが被写体に寄り添う事により、カメラの存在をも次第に消していくことで、リアルで自然体な被写体の姿を絵に納めるというものである。

被写体に対しても、観客に対しても、ダイレクトな映画をこう呼んだらしい。

本映画の被写体は、東証一部上場企業の経営者である。彼の映画と聞いて、企業PRのための成功者のサクセスストーリーとみるものもいれば、「難病と闘うカリスマ経営者」というテレビ的な説明を意識して感動巨編を思い浮かべる人も多いだろう。

しかし、これはそのどちらでもない。

キタキツネを撮影するかのごとく、人間を観察し、ドラマティックなナレーションも入れず、明確なメッセージを持つテレビとの差別化をしている。観客側に主体性を持たせ、映画にふさわしいメッセージは音楽で彩るという方法をとった、

人間観察眼に秀でた奥山和由による新しい「ダイレクトシネマ」なのである。

02 DIRECTOR'S MESSAGE 監督メッセージ

“立派で偉い人間”に対する
アンチテーゼ

「こんな人間いるわけがない」本を読んだり、テレビを見たりして、よく思うことがある。
ハンディキャップを背負った人間が、頑張って生き抜こうとする姿…
それを、人は美しいと感じ、結果を出している人間を尊敬する。

大衆は感動欲求として、それを観て勇気づけられたいと思う。これは世にある多くの感動巨編の方程式である。しかし、人間とは、ストーリーに固定された一枚岩で捉えられる存在ではなく、もっと複雑で、豊かなはずだ。世の中には、立派に作り上げられ過ぎて、苦しくなっている人間は沢山いる。

自信のない時に、
自信に満ちた男に出会った

ひどく自信を無くしていたとき、古本屋で「熱狂宣言」を見つけた。手にとって、なるほど。確かに表紙の男はタイトルに似合ういい顔つきをしていた。しかも書いているのは、ノンフィクション作家として活躍している小松成美氏である。私は、そのまま購入して、読んでみることにした。

そこに書かれていたのは、見事に立派な人間である。難病と闘いながら、経営者として、会社を東証一部上場企業まで押し上げ、今も躍進し続けており、紆余曲折ありながらも全て順調で、みんなに愛される人気者のようだ。

ただ、読み終えてみて、一つの疑問が残った。

「果たしてこんな立派な男が実在するのだろうか…」

とにかく一度彼に会ってみたい、そんな衝動から、この映画はスタートしたのである。

観察映画として

「こんな人間いるわけがない」そんなある種のアンチテーゼを持ちながら、私は彼に会いにいった。会ってみると、表紙のルックスで感じた通りの魅力的な男である。
その日は、体調が良くなかったのか、口数は多くなかったが、目を見ながら、自分がなぜ会いに来たかの話に、コクリコクリと頷いていた。
私は彼を一年間観察することにした。なぜ、自分が惹かれたのか、その引力の原因も含め、言葉にし難い力を持つ彼を通じて、奥底にある人間、そのものの本質に迫ってみたいと思ったのだ。

しばらく、カメラマンを連れていって撮影したが、彼はなんとなく“撮れ高”を意識して、カメラを意識したサービスをしているようで、どうも不自然だ。心意気は嬉しいが、困った。これでは作品にならない。
私は、最も身近な人間、日常的に接している社員を選んでカメラを持たせることにした。「とにかくどんなシーンでもいい。松村さんの日常を撮ってください。キタキツネを撮影するように(笑)。これは松村さんの観察映画ですので」と言って、まるっと預けたのだ。
社長と社員という関係上、上司の姿を立派に撮らなくては…という忖度も生まれるかと危惧したが、そのあたりの人選は私なりに観察して選んだつもりだった。
撮っている社員は、もちろんプロではない。どーでもいいシーンも、山のように撮影している。
しかし、結果として、この映画のキモになっているシーンは、全て身近な人間が撮影したものになった。
私は、映画用に回した映像の他に、過去の社員たちが記録として撮影していた膨大な動画も目を通した。
単眼のレンズで覗いていても、見えてこない。複眼的なレンズで捉えていかなければ、立体感も出ないので、素人含め、いろんな人間が撮影したものを組み合せて作っていった。

この映画は、書籍「熱狂宣言」に擬えて作られた物語ではない。ストーリーもない。ナレーションも入っていない。何を話しているかも聞き取れない。
でも彼に接している気持ちで、いろんなことを感じて欲しい。

今でも松村厚久という男を言葉で表すことができない。言葉にすると必ず何かがこぼれ落ちるのだ。だから、本能的に映画に…映像と音楽にしたかったのだと思う、彼と1年間接して感じたこと、鏡のように映ったものを、一つの結論にすべく、この映画を完成させた。

歯が浮くような言葉で、立派に固定するつもりはない。

ただ、主題歌として完成させた曲は、この映画、松村厚久に、最高にぴったりだと自信を持っている。