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奥山和由と映画 vol.8 父子二代のDNAと日本映画の過去・現在・未来 (映画ライター:吉田薫)

奥山さんと私が出会った20年前から、彼は「このままでは日本映画はダメになる」と叫び続けていました。
その強い危機意識は一体どこから湧き出ているのでしょうか? 根底には父親・融氏の存在が無視できないと思います。

「時代の風雲児」とマスコミにもてはやされていた頃、辛口で知られるオネエの映画評論家が「あなたのお父様は映画界でとても大きな存在よね。乗り越えるのは大変じゃないの?」と質問した際、「親父は眼中にない」とキッパリ否定しましたが、独特の危機意識は父親譲りだと私は見ています。  

融氏は大船調の生みの親である城戸四郎社長の側近中の側近で知られ、テレビメディアの台頭や趣味の多様性によって、娯楽の帝王だった映画が1960年代半ばから急速に衰退してきた現実をリアルタイムで体験した世代です。会社の存続のためにやむを得ず大量の人員を整理し、製作費をカットしてしのいできた苦渋の歴史を味わってきた融氏は息子以上に日本映画への危機感を深刻に受けとめ、1990年代に入るとCATVや衛星テレビへ他の映画会社に抜きん出て積極的に参入しました。  

「日本映画の復興」は融氏の悲願でもあり、そのために「映画づくりは人づくり」と口ぐせのように語り、作り手の才能を伸ばす環境づくりに奔走し、京都と大船の撮影所に映画塾を開校して若い才能を開花させようと努めました。(のちにチームオクヤマの一翼を担うプロデューサーの大山幸英さんは京都映画塾ディレクターズ・コースの一期生です。)  
「大船を日本のハリウッドにしたい」と夢を馳せる一面もあり、息子が希代の野心家ならば、父親は壮大な夢想家でした。父と息子はときにぶつかり合い、ときにはガッチリとタッグを組んで旧態然としたシステムを改革しようと尽力したのです。  

『松竹百年史 本史』(松竹株式会社発行)の序文に記した文言には融氏の熱い思いが表出されています。

「いつの頃からでしょうか 当社の経営理念として<理想は高く 手は低く>という言葉が 多少のユーモアをこめて 社の内外で言われるようになりました。確かに俗な表現ではありますが 文化産業経営の まさに核心をついた言葉であると思います。演劇もそうでしたが 映画におきましても その出発において松竹キネマ研究所を設立し 当時最先端の人材・技術を招いております。  決して 目の前の利益 単なる流行に追随する姿勢ではありませんでした。  この姿勢があればこそ 日本初の本格トーキー映画も 初の国産カラー映画も共に当社の作品として 日本映画史に刻み得たと確信いたしております。」

「時代は大きく変わろうとしております。映画・演劇というソフト産業にとりましては 怒濤逆巻く荒波に否応なく放り出されたと言えましょう。  歴史と伝統から教訓を学ぶとともに 新しい時代そのものを積極的に吸収し(略)勇気と叡智を持って乗り出す所存です 平成七年十二月 社長 奥山融」  

そして現在、インターネットの普及によって新たな産業革命の波が押し寄せ、映画をはじめとする映像文化が凄まじい勢いで変わろうとしています。

子どもにも操作が簡単で手軽な情報機器が大衆化し、一億総映像作家、国民すべてが映像ジャーナリストとなり、ほんの小さな映像があっという間に全世界に伝播して賛辞を得たり、物議を醸す事例は珍しくありません。  

映画『熱狂宣言』でも、プロのカメラマンではない一般社員が撮影した松村氏の姿をふんだんに取り入れ、ドキュメント映画としてのリアリティを醸し出しています。  

その一方、時代の趨勢で過剰な暴力シーンやホラー作品やバイオレンス作品などにおける残虐シーンには規制が強くなり、の指定が厳しくなってきました。  

映画館にかかる作品は高校生や10代、20代が主体のラブコメディやアニメなどの作品が多くなり、今年、日本アカデミー賞の主演女優賞に選ばれた女優は20代と30代の若手が占めていました。  

奥山さんや私が10代だった1960年代、映画は映画館で観るものでした。

繁華街にはいくつもの映画館が並び、どの町にも駅前には小さな映画館があり、生活感とかけ離れた<銀幕のスター>と称される映画俳優たちが数々の夢や憧れを演じ、多くの観客を非日常的な時空間に誘ってくれました。  

近年、若者たちは通勤や通学の車内で、スマホやタブレットを使い、独りで小さな画面の映像を観ています。

利便性や経済性だけを考えたら、誠にコンビニエンスに映像作品を享受できる時代になった今、120年の歴史を刻んできた映画の世界はどこへ向かおうとしているのでしょうか。  

誰でも、どこでも、いつでも映像作品と触れ合う時代だからこそ、企画者やプロデューサーの資質が求められているのです。  

<平成>という時代がまもなく終わろうとしています。

数十年後、奥山さんも私も亡くなった後、彼が映画人として後世の人々からどんな評価を与えられるでしょうか。
功罪含めて、その足跡はきちんと語り伝えていくべきであり、一片たりとも封印してはならないと思うのです。